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さるお寺さんでの法話より ある時・・・お釈迦さまの足にトゲがささった。 周囲の人間が『一体どうした事でしょう』と嘆いた。 するとお釈迦さまは『これは私の過去世の報いなのだ。未だ過去を浄化しきることができないのだ』とおっしゃり、その過去世のことを語りだした・・・ Aという商人とBという商人がいた。 二人は船をだし、財宝があふれる国へと向かった。 Aは、船の容量を考えて荷物を積んだが、Bは欲望の趣くままに詰め込んだ。 出帆すると、Bの船は重さのあまり沈み始めてしまった。 Bは、Aに救いを求め、身一つで乗り移ってきた。 こうして生命が助かると、段々と沈んでしまった財宝が惜しくなる。 BはAに、財宝をよこせ、と迫ってきたのでAは自分を守るためにBを殺めてしまった。 このAが自分なのだよ、人を殺めた罪が消えないのでトゲがささってしまったのだ・・・ ・・・こういう話が経典にあるが、住職さんは聖天行者であるがゆえに、この話しの一部を聖天信仰にあてはめて考えてみた。 二人の商人が船に積んだ財宝は、『ご利益』ではないか。 聖天さまのお力は絶大であるので、大きなご利益をいただくことがある。 しかし、自分の『器』を考えないで大きなご利益を望んで欲張ると、身にあまるものとなり、Bの商人のように船を沈めてしまうのだ。 人間ならば身を持ち崩す、ということか。 Aのように、船の容量=自分の器、というものをよく考え、ほどほどにすることが肝要ではないか・・・ 私も何回か、大きすぎるご利益はおそろしい、と書きましたが、住職さんも同じようにお考えであったとわかりました。 毎日必死に手を合わせてお願いしているのに、一向に埒が明かない、という場合、もう一度冷静に自分を見つめ直すことが大切だと思います。 人生、あんまり欲ばっては、よろしくないのですね(^_^;) |
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